我々は何かに依存している

最近、薬物依存のタレント逮捕のニュースが連日流れています。

依存してしまうのは心身のいずれかに苦痛があり、それを和らげるためで、弱さゆえに自分自身で解決するのではなく何かに頼ってしまうから、というのが専門家の解説にありました。

違法薬物等に依存することはあってはならないことですが、何ものにも依存していない人はこの世にいないのではないでしょうか?

物なのか環境なのか人なのかは別として、自分は何かに依存している、という事を認めていない方がかえってマズイのでは、と思うのです。

私自身も23歳で大学を卒業後は自分の収入で生きているので、経済的には自立していたと言えます。

でも、当時は大企業に就職していたので、まず、会社の肩書に依存していました。セールスの仕事をしている際に、競合他社より優れている点として、会社の業績や規模を持ち出したこともありますし、提携していた某アミューズメントパークを持ち出したこともありました。(もちろん、ロクでもない営業の仕方です・・・)

また、会社の組織にも依存していましたよね。相手の役職が遥か上の人の場合は自分の上司を連れて行ったこともあるし、自分自身が会社からもらった肩書をこれ見よがしに使っていたこともあったと思います。

パートナーに頼ったこともたくさんあったし、憂さ晴らしでお酒に頼ったこともありました。

どこまでも依存の生活。

それなのに、依存していることに全く気付かずに「一人でできる!」と思い上がって独立したものだから、うまくいかなくなるのは当然のことだったと、今はわかります。

その後、なんとか復活出来たのも周りの人々に頼りまくったし、今でも家族やクライアント様、仲間たちに支えられていることはたくさんあります。

となると、自立して生きている、というのはどういうことなのでしょうかね・・・?

物理的、心理的に、何かを頼っていたとしても、自らが思考し、決断し、行動を起こした結果に対しての責任は自分自身で取るという心構えで生きているかどうかなのではないでしょうか。

誰かに相談をして決めたことでどんな結果が出たとしても、誰かに指図されて仕方なくしたことであったとしても、自らの行動によって怒った現象なのだから、人を責めたり、愚痴を言ったりせず、一人で絶望し、その絶望から這い上がる方法をまた必死に考える。それによって人として成長していくことが出来るのではないかと思うのです。

絶望していいの?と思うかもしれませんが、絶望をしてない人はいないのです。

セーレン・キルケゴールさんという哲学者は「真剣に生きている人はみんな絶望しているんだよ〜」ということを言っています。

そう、つまり絶望を知っている、ということは自分自身の人生を真剣に生きている、ということだとも言えるのです。

なので、頼るべき時は頼り、責任を持って行動を起こし、絶望も味わいながらこれからもチャレンジしていけば良いのです。

もちろん薬物依存やアルコール依存、ギャンブル依存などなどは論外、別次元のお話なのでダメですけど。

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